出会う人とは出会う
中高は、都内の女子校のわたし。
昨年から、交差点旗持ち当番のときに、同級生だよなーと思うママがいた。
見かけるが、直接の接点なく、今日を迎えた。
昨日、久しぶりの学童のお迎えで振り返るとそのママだった。思い切って声をかける。
出身、〇〇中学じゃないですか?
そうですそうです!とそのママ。
そんなに仲良くなかったのにー、よく分かりましたね!と。
私は、洞察系HSPだったのだろう、クラスの子のことは一人一人みんな覚えているし、知ってる。それが普通だとつい最近まで思ってました。
でも、それがこんな風に二十何年もたって繋がるとは!
引っ越ししてきたばかりのようだったので、なにかあれば声かけてね♡とLINEの交換しました。
出会う人とは出会うチャンスありますね。
一人一人との出会い、再会、出会えるうちに、大切にしていきたいと思います。
魂の叫び
今日は末っ子小学校入学式
〇〇小学校入学式 と書いた看板の前で、親子写真を撮りたい
たったひとつのわたしの願いは、今日もやぶれた。
核家族、子どものイレギュラー行事は全部一人で準備、予定を空けて対応してきた。
夫は行事の時間のみは休みをとり出席するが、基本、行列に並んでまで看板の前で写真を撮ることはしないので、毎回スルー。
今日は子ども本人も180人の中からクラスが一緒にならなかった唯一の1人のお友達を探し歩き、一緒になったのは帰るときで、写真を撮るよりもそのまま一緒に帰りたがり、看板前での写真は撮れなかった。
小学校の入学式で看板前で親子写真を撮る。
このことが、3回チャンスがあったのにかなわなかった。
普通の人が普通にできるだろう、このことができなかった。
その子にとって、そして親の私にとっても節目で大切なこのタイミングで写真が残せなかった。
帰宅後から、もうなんとも言えない悲しみと怒りの波に打たれている。
魂の叫び、もう過去には戻れないけど、今日叫んだということを心にきざんでおこうとおもう。
泣き叫んで暴れて消化した感情
朝から大雨でさむーい中、中学校入学式へ。
希望溢れるキラキラした目で入学された、新入生のみなさん、と校長先生は言ってたけど、不安しかないわ、と娘ちゃん。
みんな、同じ服で個性が消えてしまった印象で、ちょっと新入生元気もなかったなーと話していたら、ぽろっと娘ちゃんが言った言葉でした。
わたしは上級生の子どもたちが発する声や歌や内容がいい響きで、子どもたちの発表にあの場にいさせていただき、ありがとうの気持ちでした。
終了後、出てくる子どもとお友達を捕まえてみんなで入学式の立て看板の前で写真を撮りました。
私も娘と撮りました(^^)
長女の小学校の入学式は、下の子が病児で二人きりでの入学式だったので、はじめて一緒に撮れました(^^)
タイトルの件は、中間子の息子ちゃんのおはなし。
彼は今日は通常登校でしたが、帰宅後、またも大荒れ。
あるきっかけから、泣きがはじまりました。
そういえばこの泣き。一年前にもあったなー。
部屋で鍵かけて泣き叫んで大暴れしていました。
去年は原因を聞いて対処しましたが、
今日はもう私も書類書きに追われ、相手にできず、
お部屋で泣いておいでーと放っておきました。
本当にすごいけんまくで泣いて暴れること数10分。
ピアノを弾いたかと思うと泣き止んでけろっと戻ってくるではありませんか。
聞いてみるともう泣くのやめようと思ってやめた、と。
自分で泣くのやめようと思ってやめたのすげーじゃん!!
そしてその後、気持ちはわかったよ、希望は色々な事情があっていまは、叶えられないかもしれないけど、あなたの気持ちはわかったよ。
と話すとそのことも納得してくれたようでした。
この泣きは1年に1回くらいで、いつもは中途半端なぐずりな息子くん。
たまに大声で泣き叫んで発散するのも彼にとっては、ひとつの発散方法なのかもしれません。
大人でも難しい感情の取り扱い。
子どもも子どもなりに、色々な取り扱い方を経験していくのですね。
中学生には統一性必要なのかな?
あした中学入学式ー(^^)
制服の試着に行ってからずっとずっとブルーな表情をみせていた長女。
新しい中学のまぁまぁかわいい制服だと思うのですが、好きなお洋服を毎日6年間自分で選んで着こなしていた娘としては、毎日みんなと同じ制服を着なくちゃならないこと、好きな服が着れないことがめちゃめちゃ嫌なようでした。。
1週間前にしつけ糸をとって、名前つけをして、少しこなれた感を感じたのか、制服のことを受け入れはじめました。
今日は、閉店間際の21時前に明日は寒いということで、しまむらにかけこみ、ひざ下の無地(ワンポイント)の靴下を買いに行きました。
背が小さい娘は32センチでちょうどひざ下丈。
ついでに紺のセーターも安売りしていてゲット。
これで明日は暖かく入学式を迎えられそうです。
無地、華美でないもの、紺、白、黒
スカートはひざ下丈、30リットル入るリュックサック 紺、黒 華美でないもの
いやいや、なんだか制服や中学の持ち物も大変ですね。
しばらくこういう生活をしていなかったので、いま、ここまで規則、統一性必要なの?とか思ってしまいますが、ひとまず、自分の制服姿に満足しはじめ、笑顔もみせてくれるようになったので、安堵の母でございます。
そして、中学は子どもと別行動なのですね(^^)
入学許可証は親が持参して受付するとか。
入学説明会でもらった資料をよく読まないで名前つけをしてしまった私は、体操着全部フルネームで書いてしまいました。(枠が大きかった&小学校と同じ対応してしまった)
名字だけでよかったみたい。
私が子どものときは、絶対そんなことされたら嫌だったけど、長女は真面目なママが間違えたなんて、みんな珍しいと思うよ。名字だけで呼ばれるの嫌だから、このままでいいよ。とのこと。
横で、夫はそんなこと誰も気にせーへんわ、ええやん、ええやん。とずっと言ってました。
華美でないもの、無地についても、色々反抗とかしたくなる時期だからそうなってるんちゃうん?と。私からみたらそんな決まり必要ないやろって感じですが(^^)
新生活、ついにスタートです。
中学3年、高校3年、あっという間に過ぎてしまうかもしれないこの時期も大切に過ごしていきたいなと思います(^^)
「いま」を扱いたい
「いま」を扱いたい気持ちがある。
私にとっては「いま」という時間軸がすごく大切だ。
やることは「いま」やりたいと思うし、課題だなと思うことがあれば、それらを「いま」少しでも良い方向に向かうようにしたい。
書類も「いま」もらって「いま」できるのであれば、「いま」やります。
それで辛く、苦しくなったときもありますが、それが私なのだーという気持ちです。
「いま、いまの子どもたちの居場所を作りたい」
この気持ちを「いま」一歩すすめられるように「いま」動かなくては、という気持ちです。
まずは先人たちに相談してみようかな。
病院通いで感じる共感性の鋭さ
入学前に出てきた子どもたちの不具合に対応。
一昨日、末っ子は足指からの出血対応で皮膚科に。
昨日、末っ子と長女は虫歯治療のため歯医者へ。
歯医者は小児歯科にいまは落ちついていて、女の先生に普段は治療、定期検診にご対応いただいている。
しかし、昨日はとつぜん、ベテランの男性の先生が担当。
さすがに中1になる長女はその場は我慢したが、「もうぜったい虫歯にならない。
あんな風に治療されるなら、ぜったいいやだ!」
治療自体は早く終わったが、長女の顔が曇る。
もうそれはそれは全力で「嫌だった!」と顔で表現している。
ギャン泣きで抵抗した末っ子とは年齢も違うけど、その後の切り替え具合が全く違う。
私からみたら、この世の果ての顔だ。
強めの口調で話しかける。
先生のペースでの治療
接触の仕方が、本人に寄り添っていると感じられない
前の子を治療している様子をきいてとにかく全身で嫌だと感じた
こんなところなのだろう。
今回は、
「早くきっちり治療してもらえた」
本人の希望は
「優しく丁寧に接触して、治療してもらいたい」
だったのだろう。
早くなくてよくて、もしそれで治療が一回で終わらなかったとしても優しく丁寧に接触していただけていたら、あんな曇り顔にはならなかったのだろうなと思います。
3歳くらいから虫歯になりやすくて、小児歯科ができる前も治療に行っては女の先生でないと嫌といい通し、今もまだ変わらないのだなぁともう、本当に彼女の性質を理解して一つ一つ付き合っていく意外、ないのだなぁと思いましたよ。
だんだん中学生になり本人の理解は深まります。
我慢すればいいだけだ、甘やかしだ、まだ赤ちゃんだ、そんな風にひとつひとつの出来事を押し返し、なかったことにするのではなく、そうなんだね。そうだったんだね。と受け止めた上で、じゃあ次からどうしたい?それができなさそうだったら、どうしようか?とちょうどよきポイントをみつけていく必要があるのかな、と思います。
12歳になってもまだまだ当たり前ですが、母業は続きますね。
共感性がするどい長女は前日皮膚科治療に行った妹にはこんな手紙をあげていましたよ。
お風呂からあがったら、着替えと共にこのお手紙がセットされていて、なんかすごいなと思いましたよ(^^)
手書きのお手紙で
子どもたちの入学のお祝いをいただき、お返しと共に、親戚の皆さまに手書きのお手紙を書いた。
書きたい和紙の便箋に封筒を選び、万年筆でといいたいところだが、字も絵も上手でないので、いつものジェットストリームの油性ボールペンで書いた。
お祝いのお返しは、タカシマヤさんのオンラインサイトで。お手紙は別にお送りした。
手書きのお手紙で以前に仕事上で、すごく喜んでいただいたことがあった。そのときは、仕事としていつも通り行った感覚だったので、あまりピンとこなかったのだが、皆、メールでお礼をくださったり、電話をくださったりした。
それぞれの子どもたちの現在の様子をお手紙に気持ちを込めて書く。
私もそんなことができるくらい、子どもたちが成長したのだなぁと、お電話でお話ししていて気づく。
子どもたちが大きくなっているということは、わたしたちも年を重ねているということ。
年を重ねられることに感謝したい。
今日は、お友達ママとふたりランチ。
癒しの時間を過ごせました。ありがとう。