なんのために生きるのか?

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「なんのために生きるのか?」

ずっと私が子どもの頃から持っていた「問い」

2か月のおやすみ終盤に入り、何もしないで過ごすことができる日が2,3日

とれた時に、ふわっと出てきた。

 

『私は、子どものような体験をするためにこの世界にきた。』

 

ずっと、大人にならねば大人にならねばと思い、それを呪文のように

唱えながら、子どもな自分と向き合ってきたように思う。

20歳を過ぎてから、そして、特に母親になってから。

 

でも、子どもな自分はちゃんとそこにいつもいて、大人になんて完全には

なれなかった。

 

「そうだ、私はこの世界に子どもが子どもとして子どもの体験をするように、

私もその体験をしにやってきたのだ」と、理解した。

 

子どもの体験を大人な年齢の私は楽しんではいけないと頭の中で思っていたのだなーとも思う。

 

「子どもが体験するような体験をしてもいい!」そう自分に許可したら、ふっと、やりたいことがでてきた。それ??えーーー。と今まで自分が苦手だと思っていた分野『栄養』の勉強。きちんと学校に行ってしたいと思った。

これまでやってきた『事務仕事』もう二度としたくないと思っていたが、『あれ?今ならあのことさっさと手を動かしてできるかも?』

なーんていうのも出てきた。

『保育』の仕事、子どもと一緒にいるのがただ、楽しい。

『子育て』子どもと一緒に絵本を読んだり、おかあさんといっしょをみて一緒にその世界観を感じて体験するのが楽しいのだな。

 

今日は41歳の誕生日。子どもたちが私のお祝いをしてくれる。

手作りのお誕生日プレゼントをくれる、子どもたち。

ママの機嫌が悪くならないように、下の子と遊んでくれる長女

一緒に寝たいから、ポツンと一軒家スペシャルを最後までみると目をこすって起きている長男

眠いから、先に寝たいママはテレビを中断して自分のところに来て寝かしつけをしてと主張する末っ子

 

長女がきてくれて、私は子どもの世界を体験できた。

長女・長男がいつもママ・ママだから、子どもの世界観を一緒に経験できた。

いつも自分の意思を家ではストレートに主張し、陽気になったり、きょうだいげんかしてめちゃめちゃ激しく怒ったり泣いたりする末っ子がいるから子育ての醍醐味を経験している。

 

第一子、二子には、私は生かされたと思う。これまでは、私が子育てしたというよりは

生かされていたのは私の方だった。

三子を寝かしつけしながら、この子の子育てが私にとっては一番子育てっぽいなと

思う。

これまでのことは、↑のように思うけれど、

『子どものように楽しみながら子育てをする』これもこれからはできる!

いつからでも、気づいた時点ではじめればよいのだ。

 

そして、子どもには『自分の人生を生きてほしい』と心から思う。

全ての子どもがうまれてすぐから、『子どもが子ども自身の人生を生きている』を実現したい。

 

これが、これから私が人生かけてやっていく『問い』です。