平成から令和へ。不登校とHSPと。

f:id:miyupapamama:20190430222006j:image

40年の人生のうちの大半の30年を過ごした平成が終わろうとしている。

わたしにとっての平成は辛いことが多かった時代だった。ちょうど10歳のときに平成になったから、その頃から最近まで辛い過去として語ることができる。肩に力を入れて生きていた子ども時代。後半12年は、子どもがいて毎日生かされて頑張って子育てと仕事をして生きていたなと思う。でも、それらも全部わたしには必要な経験や感情や体の硬直具合だったような気もする平成最後の夜。お菓子は食べた夜。母から私を経由してきた、長女への誘い(長女はいきたくないといった)に、断った夜。私が母からの誘いを断ったのは人生はじめてかもしれない。

 

中学生になった長女は毎日部活。休みは明日のみ。私は数日仕事、そしてやすみ、夫と第二子、三子は全休のゴールデンウィーク

「令和」でわたしがやることは、「不登校」というキーワードに対しての、なにか、なのではないかと感じている。わたしはHSPで、娘もおそらくHSCだろうと思うけど、私も不登校ではなかったし、娘も不登校ではない。でも、平成時代から、まわりの不登校のクラスメイトや、登校していても昼食を食べないクラスメイト、子どもや子どもの友達の同じ性質だろう子のことが気がかりで仕方がなかった。そしていま、不登校がキーワードとしてあがるコミュニティに複数所属している。

仕事としては病児保育、保育採用事務に固まってきた。そして、自分の子育てをしながら、気になる子どもたちやその親御さんに寄り添うことをしていくのだろうということが見えている。

 

HSPがどう生かされていくか、自分の肉体を感じながら、周囲の人々のほんものさに触れ、大切に大切にコミュニケーションしていきたい、という思いです。

 

平成時代の経験、出会い、感じや感情に感謝して、それらの上に、新しい時代、令和でやることをこつこつと積み重ねていきたいと思います。