感じることを諦めない。
我が家は、本日長女が卒業式前日。ランドセルを背負って最終登校日でした。
そして、明後日は、末娘の保育園の卒園式です。
私自身は、今年は特に大きな役はなく、仕事と子育てとダイエットと卒園式卒業式準備
をしている今日この頃なはずなのですが、疲労感が全くとれず、感慨深いはずの卒業・卒園にまったく感情がなく、無感情でした。
それは、疲れていて思考停止している?と思っていましたが、何を感じてもいいのだと自分に自分を許可していなかったのだと気づきました。
小学生を卒業する娘は、それはそれは、毎日目をキラキラさせながら、
「今日はクラスで運動会をするんだ!楽しい一日になりますように」
「今日は、ごみ拾いボランティアをするから早く登校するんだ!」
「●●はひとりで登校でも大丈夫だよね!いつもねえね待っていると登校遅くなっていやなんだもんね」
と出かけていく様子に、もう本当にこの子は大丈夫で、この子はこの子の人生を生きていて、私は私の人生を生きることをしていかなくてはと本気で気づかされています。
保育園児のとき、年中でママが育休に入るまで毎朝ギャン泣きだった娘。
1歳クラスから2歳3か月くらいまで、午睡明けに毎日38度の熱、お迎えにいくと36度の平熱だった娘も、今は、自分の体と心と頭をつなげて思春期真っただ中を歩いている。
私も体と心と頭をつなげて、毎日を生きていかなくてはならないと、気づいたのでした。
今の子どもたち、親がぐちゃぐちゃしなくても、子どもたちはちゃんと自分の人生歩いてます。私たち世代よりも、ほんものの自分とつながっていると思っています。
そんな子どもたちから様々な気づきを得ながら、私が自分とつながり自分を取り戻している感覚です。
でも、少し先に生まれて少し先に経験している世界がある。
特に私は東京育ち、核家族だったからわかる世界があります。
それらをこれから、発信していきたいなと思います。
明日はわが子の義務教育のはじめての卒業式。(千葉県)
翌日は9年間毎日通った保育園の卒園式。
明日、明後日はおもいっきり感じきって泣くぞー。
卒業、卒園おめでとう。
断乳→入院の話を聞いてゾワゾワしたよ。
先日、会社の同僚の1歳のお子さんを育てているママから、「そろそろ断乳をしたいのだけど、どんな風に断乳しましたか?」とお昼休みに質問をうけた。
どうだったかな?と思い出し、3人それぞれがおっぱいから卒業していった話をした。
あと、人から聞いていいなと思った卒乳ストーリーなどもしたかな?
ずいぶん思い出せなくなっていることに、びっくりした自分もいた。
そのお子さんがつい先日まで、肺炎をこじらせ入院していたことは知っていて、退院したと聞いて安堵していたところだった。
今日久しぶりに、ゆっくりお話しする機会があり、「そういえば、2月の連休に断乳したんですよー」とのお話し。
私は「そうなんだ!順調に断乳できた?」
「え?それって、入院する前?」
「そうです!入院する前です」
「わっ!!」と、体がゾワゾワする私がいた。
心から魂が震える体験をしたときにする、私の体の反応だ。
「よかったね!そのタイミングで、思い切って断乳に取り組んで、本当によかったね!!頑張ったね!」
と、心からの祝福を送りました。
断乳していない状況で、入院が必要になったお子さんと親御さんの心身的体力的な負担を思うと、本当にお母さんにとっても、お子さんにとってもベストなタイミングで断乳、卒乳していたことに、心震えたのでした。
子育ての大変さって、色々なことが重なって、子どもも自分も大変なことになってしまうことにあると思います。
そろそろ断乳をしたいなという気持ちがあったときに誰かに話したり、聞いたり、行動してみることで、結果的に自分のためにも子どものためにもなった!っていうことだよね。
どれも、決して簡単なことではないと思う。
そして、その行動とタイミングと結果に心から震えましたよ。
いやいや、久しぶりに味わったこのゾワゾワ感。でも、とっても大好きなゾワゾワ感。
お子さんの入院といった大変だったことだと思いますが、その間にあったストーリーに触れさせていただき、ありがとうの気持ちです。
こんなゾワゾワ感のある、話の身近に毎日いたら、どんな風なのか?想像もできないくらい気持ちよい世界だろーなーなんて、妄想してしまいました。
日常を記す
ご無沙汰していますが、再び「日常を記す」をはじめてみようかと思います。
今日はシフト休、子どもの行事もない久しぶりの完全休です。
朝から、低糖質のクッキーを焼き、
この冬最後のサムゲタンを仕込み、以前カメラ講座を一緒に受講していて、現在コーチを仕事にする友人とzoomで何年ぶりかにおはなししました。
かれこれ、2時間くらい。
楽しかった(^^)
zoomであれば、繋がりたい人と繋がりたいときに繋がれて、本当に有意義!このような使い方をしたのは初めてでしたが、とっても充実した時間になりました。
そして、私の日常が、
☑️子育て支援であり、子育てであること。
☑️ダイエットであり食べることであること。
☑️今この子育て中が、おそらく一番楽しくて充実している時間になるだろうということ。
☑️私は子どもたちの『目』が生きている、未来につながることをしたいということ。
☑️褒められるより、誰かの役に立つことで自分は生きがいを感じるということ。
そんなことを感じた日になりました。
これから、末っ子、年長さんのご希望に答え、2時半お迎えしてきます(^^)
仕事がおやすみの日は、『早く迎えにきてね!』『明日2時半ね』何度も何度も念押しあります。昨日もありました。
いまは、小学校に向けて、自分で連絡を先生に伝えられるように練習しています。母が連絡帳に書かなくても、『つっちゃん、にじはんおむかえとじぶんでつたえるからだいじょうぶだよ』と、頼もしい末っ子ちゃんです。
今日は帰宅後なにしようかな?
その前に遅れないようにお迎え行かなきゃ。
私のほしいものは私のなかにある。
久しぶりのブログ更新です。
最後のブログ更新から1年近くが経過していますね。
いま、昨年のブログを読むと信じられないような、毎日(今)を過ごしています。
率直にいうと、子どもたちがママがいなくても、なにか頑張ってしてあげなくても、毎日元気にそれはもう本当ににぎやかに、過ごしています。
でも、私は精神的になんだか「ヒマ」
この一言に尽きますw
直近11年間が精神的に忙しすぎました。なんであんなに忙しくしてしまっていたのだろう。
一番大好きな可愛い子どもたちの時期を、ちょっと残念にも思います。
環境の変化としては
*第二子の小学校入学
*仕事が徒歩圏内に
*こども(本人)のやりたくない習い事をやめたこと
この3つです。
やったこととしては
山口由起子さんの「変化の後押しコース」への参加。
楠瀬誠志郎さんの声の学校「breavo-para」朝大学への参加。
山口由起子さんの「熱軸セッション」で熱軸を知ったこと。
由佐美加子さんの「源からつながる自己表現」コースに参加。
どれも本当に申し込み当初は、もっと学んでお金稼げるようにならなきゃとか、夫が亡くなってもなんとか子どもたち生きていけるようにしなきゃとか、自分に合ったことをしたい。長時間働けない半人前の自分の穴埋めと、自分のなかにあるものを外に対して自己表現したい気持ちでした。
しばらく休んだり、それぞれのコースやセッションで行き着いたところはここでした。
「もうすでに私がほしいものは私の中にある。ぜんぶある。」
そんな今があります。
仕事が休みの週末になると精神的にヒマになるため、なにかそろそろ本当にはじめてよい時期なのだと思います。
6月30日。一年の半分が終わります。今日やっとすっと自分のなかに深い理解と共に落とし込めました。
明日は1日フリー😊
紫陽花を観に、鎌倉まで出かけようと思います。
マイナス感情を認めてあげる。
生活スタイルが変わり二週間。新しく行くようになった街での光景をみていて、ふと思ったことがある。毎朝オフィス近くの保育園から散歩車に子どもたちを乗せてお散歩に行く保育者と子どもたちをみながら、そして1歳くらいの女の子と一緒に歩くお母さんをみて。
自分の中に長い間、引っかかっていたことに気づいた瞬間があった。
私は、第一子のときの育休復帰、本当はしたくなかった。あのときは、第一子と一緒に毎日をただただ過ごしたかったのだ。と。
一緒にいたい、その気持ちをないことにして、希望していないやっと入れた保育園に子どもを預けた。復帰前のあのタイミングにもう一度戻ることができたら、そしてそのとき、理性あるメンタルをもてていたら、違う選択をしていただろうと思ったのです。
第一子のときは、ただ本当に可愛くて、いま、その子と一緒にいたくて仕方なかった。うまく子育ても家事もできなかったくせに、本当にただそんな思いだったのだということに気づきました。育休中は毎日楽しかった。たぶん今までの人生で一番キラキラしてた。
そして、私は仕事が大好きだし、これまで所属していた組織はどこも大好きだし、働かなきゃ自分の存在価値はないと思っていた。
あの時には、もうもどれないけど、10年前のあの気持ちを受け入れることで、自分の子育てと仕事としての保育を切り分けて考えることができるかもしれないな、といま、思っています。(切り分けできず、胸が痛くてやりきれなかった。)
保育士の仕事にも未練はある。あのとき、立ち上げはやりきったけど、現場をどうしてもやり続けることはできなかった、くやしさもある。
いまは、そんな自分の気持ちを認めて受け入れて、また次の一日を迎えようと思います。
このところお腹の調子が悪く、一週間以上ずっとトイレがないところには行けない状態。受診して、過敏性腸症候群のクスリが処方された。
15年前の仕事で臨床試験コールセンターで関わりのあったお薬が世の中に出て、今、私の症状を和らげてくれている。
新しい職種、職場、求職中は二カ月後には子どもは、保育園退園になる状況をここ半年過ごしていて、ストレスないはずがないのに、「勤務時間短いから大丈夫」とか、「派遣だから大丈夫」とか無理やり自分が大丈夫であるという理由をくっつけて、「私はストレスなんてないし、ちゃんとやれているから大丈夫」と、ストレスは一切ないことにして、外では気丈に振る舞っている。ここでは、体がアラーム出してくれて気づいたのでした。
マイナス感情をないことにするのは、本当に危険です。あってもいいのだから、そこにある、いることを認めて前に進まなくては、心の底から、望んでいる自分に、本当には一歩も、近くことはできないのだと知りました。
そして、マイナス感情は一瞬にしてないものにされていて自分の中では気づくか気づかないか神一重です。それくらい自分の人生ではあってはならぬものとして、隠して味わないようにして生きてきたものです。これまでの自分をヨシヨシして、こまめに聞いてあげようと思います。
今日からは、マイナス感情もある自分を見ながら、1日1日を温かく過ごしていく人生にしていきたい思います。
体を温めたり、運動したりして労ってあげることもしていきます。
人生はじめての夏休みの終わりを控えて
0822 保育園に自営業届けをだした。
これから副業として、写真の道を歩んで行くことを決めた。対象は新生児から9つまでの子どもたち。自然の中(みどり)や優しい光がはいる明るい、白や木目を基調とした背景でナチュラルな子どもの表情を残したい。
それが、私の目指す道だ。
派遣で都内で働きつつ、ずっと絶対にやって行きたくて変わらないこと、写真、子どもに関わることをやって行くことを決めた。
超絶慎重で、本当の目的以外に、二つ以上(なぜか)別のところに目的がないと動けなかった私。
子どもたちの真剣な眼差し
親子の笑顔
心から安心して委ねている表情
ひとりひとりの気持ちに寄り添い、それを写真に残したい。後でじっくり振り返って涙が出るような写真を撮りたい。
重たいカメラに慣れ、身近な赤ちゃんや子どもたちを撮影させてもらい、今しかできないことを分刻みで毎日、子育てしながら26日間やりました。自分が愛されるためにこの世に生まれてきたことを再確認し、子どもたちとの日常を過ごし、子育て支援を丸9年仕事にし、さらに保育士資格を取得し、現場に入り、自分の、社会にいる子どもたちへの愛は並み大抵なものではないのだと、これまでの世界と離れてみて知ることもできました。
自分の第一子を出産して初めて、この世界を知り、子どもが好きだとわかってから10年が経過しています。そろそろ、本当に自分が子ども好きだということを認めることにします。
可愛いい可愛いい子どもたちの今、大切に写真に残すことに貢献していくことを約束します😊
今日は子どもたちの通う保育園の夏祭り。
パパはお仕事で不在でしたが、役員の仕事もなく、子ども3人連れて今年はゆったり楽しめました。
こんなに子どもたちやママたちやパパたちと自然に楽しく関わり、あの場にいたのは保育園人生10年目にしてはじめてだったと思います。
これから新しい生活がはじまりますが、静かに日常としてスタートしていけそうです。
穏やかに優しく毎日を過ごしていきます😊
一番大切なのは、自分が自分のことを好きでいること
8月1日から人生初めての夏休みを過ごしています。
長女の小学校部活朝練なし。塾なし。
自分の仕事なし。
長男次女は9時-16時保育園。
0歳児の赤ちゃんなし。
受験勉強なし。
という20日間が終わろうとしています。
10日までは疲れすぎているのに、やらねばらないことがたくさんあり、それらを消化し、現状復帰のため毎日を過ごしました。あとの10日は、帰省したり友達に会ったり、欲しいものを手にいれたり、会いたい人に会ったり、子どもたちの要望に応えたりしていました。
また28日からは、平日週5時短でお仕事します。
残りの夏休みは、あと6日です。正確には、長女の色々が明朝からはじまるので、夏休みではないのですがね。
自分が好きなものや心地よいものがなになのか?探ることを半年くらいやってきたけれど、
絶対これだ!というものが出てこなかった私です。
何故でてこないのか?
それは、『自分が自分のことを好きじゃなかったから。』⇨『心底から楽しめないから。』ということに、やっと気がつきました^ ^
ずっと子育て支援NPOや保育や、女性の健康や美容、新薬の開発のサポートのサポートなど、誰かの役に立つ仕事しかしていなくて、他の誰よりも『ありがとう』と言われる仕事をしてきているのに、自分の家族や子どもたちも『ママ、ママ』『ママ、今日はありがとう』と言ってくれるのに、毎日疲れ果てていてどこか楽しめなくて、受け取れなくて、消化不良気味なのは『自分が自分にありがとうと言えてないから』だと思い至りました。
『一つ一つの選択を自分のためにする』これがやっているつもりでも、本当には、できていなかったのだと思います。
中間子の両親の元で、核家族で、第一子長女として育ちました。
重厚な殻で自分を守り、自己否定をし続けてきたなと思います。親が自立し、夫婦関係に子どもとして関与しなくてもよくなったいま、『私はどうしたいの?』を一つ一つ問い、大好きな人(大好きな自分)のために選択していきたいと思います。
今は9時-16時の保育園への子どもの送迎で、育休ママたちに2ヶ月とか7ヶ月の赤ちゃんを抱っこさせてもらって幸せな日々です。
赤ちゃん大好き、ママたちとのコミュニケーションも大好きなのです。
家事が苦手じゃなければ、産後ドゥーラさんにも憧れます。私が大好きな私なら、目指せると思います❤︎
そして、これまで核家族で、夫婦で子ども3人、大人の目が届かない時間を一切作らず、子育てしてきている自分に労いとありがとうと感謝します。
ありがとう、私。38年間ありがとう。子育て10年間ありがとう。